だれやみ評論:黒木和雄の青春 /宮崎
死者を悼む夏の季節のせいか、4月に亡くなった本県出身の黒木和雄監督をしのぶ番組「戦争へのまなざし」がNHKで放送された。「ひたすら反戦を訴え続けた映画人」というのがマスコミ的な黒木監督の呼称だが、私には違和感がある。
黒木監督は晩年に「TOMORROW/明日」「美しい夏キリシマ」「父と暮せば」「紙屋悦子の青春」の四つの反戦映画を作った。だがそれ以前、反戦が黒木映画のテーマだったわけではない。
これら4本が晩年に集中したのは、人生の残り時間を意識して「自分を縛ってきた青春の出来事」と向き合うためだったに違いない。それは、昭和20年5月8日、勤労動員先の都城市で空襲され、目の前で級友10人を失った事件だ。頭を割られた親友が両手を差し出し「助けて」と訴えたのに、怖くなった黒木少年は逃げ出した。
戦時中の数多くの悲劇の中で特にこの場面にこだわるのは、もう一つの原体験のせいだろう。黒木少年は、5歳から12歳まで過ごした満州でも、3歳年下の妹を目の前で亡くしている。無施錠の窓に寄りかかった妹が、開いた窓から3階下の路上へ転落死したのだ。
黒木映画の核を貫くのは、この「人を助けられなかった自分」への悔いである。「美しい夏キリシマ」も「父と暮せば」も「私を断罪してくれ」という悲鳴をあげている。
「敗戦直前の日本」という時代設定は、監督が原体験と向き合うための背景に過ぎない。この世は、自力ではどうにもならない理不尽に満ちている。戦争では大勢が殺される。だが、平和な世でも人は全員必ず死ぬのだ。
東京へ旅立つ前夜の田舎の青年を描いた「祭りの準備」や、長崎原爆投下直前の1日を描いた「明日」がその典型だが、黒木映画では予告された破局的な結末へ向かってドラマが進む。破局を待つ気持ちの底には、現状からの脱出願望がある。
監督自身も「縛られた過去」から脱出しようと苦しみ抜いた。京都の監督の墓には「自由」とのみ刻まれている。人生を変えた事件から、どれほど自由になりたかったことか。
マスコミはいつも「戦争」という言葉で何かを言ったようなつもりになる。だが黒木監督の立派さは、反戦映画を作ったことにあるのではなく、少年時代の悔いと生涯格闘し続け、人生の最後で、そこから逃げなかったことにあるのだと思う。<宮崎支局長・大島透>
8月21日朝刊
(毎日新聞)より引用
最近、各界の著名人がお亡くなりになられます。かなしいことです。
でもげんきだしていこー
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